美しさは表と裏のあいだに宿る。映画『国宝』が教えてくれたこと

先日、映画『国宝』を観てきました。
以前『ベルサイユのばら』の映画を観たとき、予告編で流れていて気になっていた作品。
公開されたと聞いて、迷うことなく観に行きました。

主演は吉沢亮さん。歌舞伎役者の女形を演じているのですが、
その佇まい、所作、舞台での緊張感に、思わず息を飲みました。
白塗りを纏った瞬間の「別人になる瞬間」。
まさに“芸”がそこに宿っていて、彼が纏う静かな緊張感と品の良さに、ぐっと引き込まれてしまいました。

横浜流星さんの存在感も圧巻で、御曹司らしい気品と佇まいに、思わず頬が緩む場面も。
お二人の対照的な顔立ちや雰囲気が、物語の緊張と情熱をより深く引き立てていました。

※このあと少しだけ、映画の内容に深く触れています。
ネタバレを避けたい方は、ぜひ鑑賞後にゆっくり読んでいただけたらと思います。

この作品で、私の心を打ったのは、
舞台の“表”の華やかさと、“裏”の孤独や重圧、しがらみといった「見えない部分」が丁寧に描かれているところ。

特に印象的だったのは、吉沢さん演じる喜久雄が大舞台を前に、
「役者の血が欲しい」と言ったシーン。
自分ができる全ての努力はしたのに、それでも舞台に立つ覚悟が揺らぐ…
その苦しさがストレートに伝わってきて、胸がぎゅっとなりました。

それを受けた俊介(横浜流星さん)の「お前には演技がある」という台詞は、
まるで祈りのようで、二人の強く深い絆がそこに浮かび上がっていました。

私自身、花の仕事に就く前は、邦楽の世界に身を置いていました。
三味線を通して、舞台や楽屋、お稽古場など、伝統芸能の空気感を肌で感じていた時期が長いことあります。

だからこそ、この映画に描かれている稽古風景や舞台裏のシーンには、
どこか懐かしさを覚えると同時に、今の私だからこそ客観的に見られる部分もありました。

当時は気づかなかったけれど、
一人ひとりが常に「場の空気」を感じ取り、無意識に気を遣っていたこと。
その静かな緊張感が、あの凛とした美しい空気を生み出していたのだと思います。

芸事の世界には、言葉にされない“決まりごと”や“察する美学”があって、
そこに身を置く者として自然に振る舞っていた自分がいた。
でも今思えば、それは相当な集中力と精神力を要していたのだと気づきます。

その世界を一歩離れた今だからこそ、
あの静けさと緊張感の中にある「美しさ」を、より深く感じられるようになった気がします。

そして、この作品を語る上で、錚々たるキャスト陣の存在は欠かせません。
彼らがいたからこそ、この物語に血が通い、深みが生まれていたと感じます。

中でも圧倒されたのは、田中泯さんの存在感。
わずかな言葉にすべてを込めるようなセリフ。
沈黙の合間に動く眼差しや、言葉にしない身体の表現に、
思わず息を呑みました。

「この一言に、どれだけの年月が重なっているのだろう」
そう思わせるような、積み重ねの重さがにじみ出ていて、
観ているこちらまで、背筋がピンと伸びるような緊張感に包まれました。

この作品は、主演の吉沢亮さん・横浜流星さんだけでなく、
全員の“芸の力”が結集しているからこそ成立している。
まさに、総合芸術としての美しさがありました。

芸とは、舞台の上だけでなく、その奥にある人生すべてを背負って完成するもの。
私にとっての「表現」もまた、技術や見せ方を極めることだけではなく、
花というツールを通して、人としての深みを育てていくこと。

美しいものに心を動かされたり、
問いを立て続けたり。
そんな小さな積み重ねが、自分を整え、奥行きある生き方につながっていく。
この映画を観て、そんなことを改めて思いました。

自分の表現を更新していくためには、問い続けることが必要。
自分の「型」を深めつつ、時に手放し、また問い直す。
それは、花に限らずすべての表現に通じる道なのだと思います。

最後に。
この映画を観ながら、改めて思ったのは、
美しいものに触れることで、私たちの心は潤うということ。

たとえば、花を飾る。
たとえば、丁寧な所作を意識してみる。
たとえば、この映画のように、美意識に触れる時間を持ってみる。

そういうちょっとしたことの積み重ねが、自分を大切にすることにつながっていく。
そんなことを、静かに教えてくれる映画でした。

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この記事を書いた人

KOLME姉。東京都出身。幼い頃より日本舞踊から茶道、華道を習い、日本の伝統美に触れる元・三味線奏者のパリスタイルフラワーアーティスト。責任感が強く面倒見の良い親分気質、思い立ったら即行動の情熱家。好きなものは、美容・宝塚・JALマイル計算。

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