整いすぎていないから美しい。ローマで見たそのままの力

「ローマって、街全体がディズニーランドみたいだよ」
そんなことを言われていたので、楽しみにしていました。
古代遺跡の街って、どんな感じなんだろう?
私が今まで、感じたことのない体験が味わえるのだろうかと、期待に胸を膨らませていました。

実際に行ってみたら「街全体がディズニーランドみたい」という表現に納得。
異次元にタイムトリップしたような街。
しかもそれらは、リアルすぎて、度肝を抜かれました。
逆を言えば、それを再現している、ディズニーランドはじめ、さまざまなテーマパークはすごいなと、妙に感心しました。

崩れかけの建物、むき出しの遺跡、石畳のひとつひとつにまで、
とんでもない時間が詰まっている。
ここ、本当に人が普通に生活してるの?って思ってしまうくらい。


今回のローマで、私の第一本命はヴィラ・メディチ。
でも、そこは前回のブログで書いたので、今回は街全体の話を。

中でも印象的だったのは、コロッセオ(円形闘技場)とフォロ・ロマーノ(市民の広場。政治や学問、宗教の中心地として栄えた場所)。
言わずと知れた定番スポットだけど、やっぱり壮大でした!

特にコロッセオでは、この地に足を踏み入れた感激のあまりに
ひとつひとつのディテールをじっくり見すぎたせいで、
そのあとのフォロ・ロマーノでは体力切れ。
日陰もほとんどなく、暑さと疲れで、意識がややもうろうとして、日陰を見つけては座り込んでいました。
(逆に、Michikoはフォロ・ロマーノが大本命だったので、日焼け対策を万全にして、歩き回っていました。↓)

でも、そのフォロ・ロマーノで、足元の石に文字が彫られているのを見つけ
「ああ、こうして文字って生まれたんだ」と、脳内でタイムトリップせずにはいられませんでした。
たぶんあの書体が、今でいう“ローマ体”の原型なのでしょう。

普段なんとなく使ってるアルファベットの形が、
こんなふうに、手で彫られたものからきてると思うと、
ロマンを感じずにはいられなかったです。

今の生活の“当たり前”が、
目の前のこの石から始まったんだな、って。

そして、歩いていると、視界の端に赤い花が咲いているのが見えました。

朽ちた石と、自然に咲いた花。
古代と今が、ふわっと重なるような、不思議な瞬間。

これは、花の感覚とちょっと似てる。
花も、いつも「今この瞬間」に咲いてるけど、
その奥には、見えない時間がちゃんと流れています。

誰かが誰かに渡した花、
それが心に残って、何年もあとになってふと思い出されることがあります。

見た目は一瞬でも、
心に残る何かは、時間を超えてしまうのですね。

ローマの街で感じたのは、
整っていなくても、美しいということ。
むしろ、壊れかけのものや、時間の経ったものにこそ、
私は惹かれていました。

それって、ブーケを作るときの感覚と似ています。

ピンと張った新しい花もいいけれど、
くねった茎や、咲きすぎた花にこそ、
なんとも言えない魅力を感じます。

花も、街も、人も。
完璧じゃないものの中にある美しさが、私はやっぱり好きなんです。


次回は、舞台をパリへ移します。
静かで重厚なローマのあとに、パリではどんな風景が待っているのか。
動きのある美意識を、花とともに感じていきたいと思います。

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この記事を書いた人

KOLME姉。東京都出身。幼い頃より日本舞踊から茶道、華道を習い、日本の伝統美に触れる元・三味線奏者のパリスタイルフラワーアーティスト。責任感が強く面倒見の良い親分気質、思い立ったら即行動の情熱家。好きなものは、美容・宝塚・JALマイル計算。

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