先週末、生田緑地でピクニックのついでに、川崎市岡本太郎記念館に立ち寄りました。
絵画に混ざって展示されていた書籍の中に、こんな一節がありました。
子供が嬉々としてはねまわり、無心に遊び熱中する。
宇宙がそれを中心にひっくりかえっているような生命感。
大人になると、そんなふうに遊ばない。あふれない。
いやあホント、大人になるとねえ……。
遊びたいけど、遊べない
私にとって「遊ぶ」は、作ることや考えること、インスピレーションを探すこと。
ウェブサイトを作ったり、写真を撮ったり、お茶菓子を作ったり。
先週、散歩しながらただ撮りたいものを撮ってたら、すごくウキウキしました。
でも、ポストに税金の通知が届いた時。
銀行や役所で、ちゃんとした大人たちを見た時。
通勤時間の満員電車で、みんなが働きに向かってるのを見た時。
「遊んでばかりいていいのかな」って思ってしまうんです。
社会とか、暮らしとか、働くことについて考えると、遊ぶように生きたいなんて言っていいものか分からなくなる。
それでも
同じ本の中で、岡本太郎はこうも書いていました。
惰性的な空気の死毒におかされないためにも、人間は創造しなければならない。
遊ぶって、生きるために必要なことなのかもしれない。
大人がもっと遊んだら、楽しくて平和な世界になるんじゃないかな。
理想はそうですよね。
でも、現実的にどうやって?
支えた人の視点を知りたい
岡本太郎は自分の哲学を生きていたけど、彼の周りの人たちってどうだったんだろう?
ある意味、太郎の強い自我に振り回されたりしていたのかな?
一人が自我をぶんまわしたって、それだけじゃ成り立たちません。
社会とのバランスがとれないと、作家活動もままならなかっただろうし。
そんなことが気になって、太郎の秘書だった岡本敏子さんの本を読み始めました。
遊ぶように生きたい。
でも、どうやって?
敏子さんの本に、その答えのヒントがありそうです。
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