「ベルサイユのばら」はなぜ心を揺さぶるのか?|映画で再確認した名作の魅力

ついに、ベルばらの世界へ再び足を踏み入れてしまいました。映画『ベルサイユのばら』公式サイト
いや、正確には、美しくも儚い愛の物語にどっぷり浸かり、心がベルサイユ宮殿に置き去りになっているような気分です。

目次

オスカルとアンドレの愛の物語(ときめきが止まらない)

オスカルが、運命に翻弄されながらも自分の信念を貫く姿は、何度見ても胸が熱くなります。
特に、近衛兵から衛兵隊へと移り、身分の違いを超えて部下たちと心を通わせていく場面。
彼女がようやく「生きる」ことの本質に触れた瞬間に、私の涙腺も崩壊しました。
強く、気高く、そして誰よりも深い愛情を持って生きたオスカルに、ただただ感動するばかりです。
ここでいう愛とは、色恋の愛情だけでなく、人間としての誇りや仲間への信頼、理想への献身も含まれています。オスカルは人々と心を通わせることを大切にし、自らの信念に従い抜いたのです。

そして、アンドレ。
彼の愛は、なんと深く、そして献身的なのでしょう。
オスカルを守るためなら、どんなことでもする。その静かで熱い想いが、じわじわと染み込んできます。まるで、夜が更けるほどに香り立つ一輪のバラのように、彼の愛は静かに、しかし確実にオスカルの心に届いていました。

愛とは何か?自由とは何か?

この作品を観ると、改めて愛と自由の本質について考えさせられます。→ 本当に自分らしく生きるとは?
オスカルは女性として生まれながら、男性として生きることを強いられ、それでもなお、自らの道を選び抜きました。(カッコ良すぎる!!)
彼女にとって自由とは、自分の意志で生きることだったのかもしれません。
そして、アンドレの愛はまさに無償の愛。彼は、オスカルのそばにいるだけで幸せだったのかもしれませんが、それがどれほどの忍耐と覚悟を伴うものだったのかと思うと、胸が締め付けられます。

ルイ16世の不器用な愛

ルイ16世の愛情深さには、思わず胸が熱くなりました。
マリー・アントワネットを思う気持ちは、純粋でありながらも、どこか不器用。
それでも、彼は彼女の幸せをただひたすら願い続けていたのでしょう。
華やかな宮廷の中で、その愛情の深さと孤独のコントラストが際立ち、より一層切なく感じられました。彼の静かで確かな愛が、私の心にも響いてきました。

ジェローデルの紳士ぶり

近衛兵時代の仲間であり、父親が進める縁談の相手だったジェローデル。
オスカルが結婚を断るシーンでの彼の態度がまた素晴らしかったです。
プライドを傷つけられることもなく、ただ紳士として受け止め、彼女の意志を尊重する。その姿勢に、思わず「こんな男性、今の時代にいるの?」と考えてしまうほど。まさに、誇り高きフランス貴族の鏡でした。

ばらの存在感

もちろん、私の心をくすぐったのは「ばら」の存在感です。
オスカルの一輪のばらのように、シンプルな花の美しさを楽しむ感覚は、私たちのレッスンでも大切にしていること。
オスカルが持つ一輪のばら、アントワネットの部屋を彩るばらのブーケロン——興味深いことに、そこには他の花が一切ありませんでした。
ただ「ばら」だけ。まるで、ばらこそがこの世界の象徴であるかのように。
生活の一部として、自然にそこにある美しさ。そのさりげなさが、余計に胸に響きました。

この映画は、個人的に大好きなフェルゼンよりも、他の人物の魅力が大いに際立った印象でした。もちろん、フェルゼンのアントワネットに対する愛は深いです。でも、二人の恋愛物語以外の人間模様が、私の胸に響いた作品でした。とはいえ、やっぱりフェルゼンはかっこよかったです。

ベルばらは単なるロマンティックな物語ではなく、やっぱりときめくことって大事!→ ときめきが日常を変えると再認識した時間でした。
そして、愛と自由、そして人生の選択について深く問いかけてくる作品です。
改めて、この名作の奥深さに魅了され、ますますベルサイユの世界にときめきを感じてしまいました。

自宅に戻って、ベルばらの漫画を読み返したのは言うまでもありません。やっぱり名作は何度読んでも新しい発見がありますね!

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この記事を書いた人

KOLME姉。東京都出身。幼い頃より日本舞踊から茶道、華道を習い、日本の伝統美に触れる元・三味線奏者のパリスタイルフラワーアーティスト。責任感が強く面倒見の良い親分気質、思い立ったら即行動の情熱家。好きなものは、美容・宝塚・JALマイル計算。

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